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静岡地方裁判所 平成7年(わ)678号 判決 1997年1月29日

本籍

名古屋市中区栄三丁目一四〇七番地

住居

同市昭和区五軒家町三五番地の三

職業

会社役員 一柳敬子

昭和一〇年一一月一六日生

右の者に対する相続税法違反被告事件について、当裁判所は、査察官落合俊和並びに弁護士(私選)南舘欣也(主任)及び熊田登与子各出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役二年六月及び罰金一億八〇〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金三〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判の確定した日から四年間右懲役刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、静岡県湖西市吉美一五三四番地に居住していた父白井富次郎が平成五年五月一日死亡したことにより、同人の財産を相続人の遠藤愛子、白井英及び白井今子と共同相続したものであるが、相続財産に関し、納税義務者して自己の相続税を免れ、かつ共同相続人三名の代理人として同共同相続人らの相続税を免れようと企て、相続財産のうち割引債、株式及び預貯金の一部を除外する不正の方法により、相続財産の一部を秘匿した上、別表記載のとおり、被告人については相続した財産の正規の相続税課税価格が二億五八九二万一〇〇〇円で、これに対する相続税額が一億四一七五万三一〇〇円であり、右共同相続人三名についても正規の相続税課税価格及び相続税額が別表記載の金額であったにもかかわらず、平成五年一一月一五日、静岡県浜松市元目町一二〇番地の一所在の所轄浜松西税務署において、同税務署長に対し、被告人については相続した財産の相続税課税価格が七四九一万一〇〇〇円で、これに対する相続税額が三六九六万三八〇〇円である旨、右共同相続人三名についても別表記載の申告した相続税課税価格及び相続税額である旨のいずれも内容虚偽の相続税申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって、不正の行為により、正規の相続税額との差額合計六億六七九六万八〇〇〇円を免れたものである。

(証拠の標目)(必要に応じて証拠等関係カードの番号を各証拠の末尾に適宜付記する。)

一  被告人の当公判廷における供述

一  証人布目勉の当公判廷における供述

一  被告人の検察官に対する供述調書(乙二)

一  被告人の大蔵事務官に対する質問てん末書(乙一)

一  遠藤愛子の検察官に対する供述調書(甲一一)

一  遠藤愛子(甲一〇)、白井英(甲一二)、伊藤隆幸(甲一五)、梅津雄司(甲一六)及び瀧口美恵子(甲一七)の大蔵事務官に対する各質問てん末書

一  大蔵事務官作成の証明書二通(甲二、三)

一  大蔵事務官作成の査察官調査書五通(甲四ないし八)

一  査察官作成の「証拠品の写し作成について(報告)」と題する書面(甲九)

一  湖西市長(五通、甲一八ないし二一、二四)及び名古屋市中区長(乙三)作成の各戸籍謄本

一  湖西市長作成の除籍謄本二通(甲二二、二三)

(補足説明)

一  弁護人の主張の要旨

弁護人は、<1>被告人が秘匿したとされる無記名割引債、株式及び預貯金の内、被相続人以外の親族名義の株式及び預貯金は相続財産には含まれない、<2>仮に右株式及び預貯金が相続財産に含まれるとしても、被告人には相続財産であるとの認識がなく、これらの財産に課税される相続税を逋脱する故意がない、<3>逋脱額の計算は、最終的に納付税額が確定した時点を基準として行われるべきであり、平成五年に相続が開始した本件では、税務調査後の修正申告、その後の遺産分割協議、それに基づく再度の修正申告、これを受けての配偶者の税額軽減措置のなされた更正決定があった時点で最終的な納付税額が確定しており、この納付税額を基準に逋脱額を計算すると、配偶者である白井今子の相続分に関する当初申告相続税額に逋脱金額はないなどと主張し、被告人も、<1>及び<2>に沿う供述をするので、以下検討する。

二  相続財産の範囲及び逋脱の故意について(前記<1>及び<2>の主張について)

1  被告人、遠藤愛子及び布目勉の供述等関係証拠によれば以下の事実が認められる。

(一) 被相続人白井富次郎は、昭和一〇年に、白井長吉、妻ていの長女多喜子(以下「多喜子」という。)と入夫婚姻し、一男三女をもうけたが、昭和一四年に次女、昭和二四年に多喜子、昭和二八年に長男を亡くし、昭和三八年に妻今子と再婚し、平成五年四月に被告人の長女英を養子とし、同年五月一日に死亡した。その法定相続人は、妻の今子、長女で昭和三五年に一柳と婚姻して名古屋に居住する被告人、三女で昭和五一年に婚姻した遠藤愛子、養子の英である(なお、富次郎の親族関係について、別紙人的関係図を参考資料として掲げる。)。

(二) 富次郎は、株式会社豊田自動織機製作所に勤務し、同社常務取締役、愛知製鋼株式会社専務取締役、社長、相談役、顧問等を歴任し、静岡県湖西市吉美の自宅に、被告人が名古屋へ嫁いでから後は、今子及び愛子一家と居住していた。富次郎は、平成四年六月ころ、脳梗塞で倒れて入院したため、それまで管理していた自宅の金庫の鍵を愛子に預けた。愛子は、富次郎の付添費の支払等のために金庫を開け、初めて右金庫内に多数の株券、預貯金通帳等があることを知り、被告人に連絡した。被告人は、同年一二月ころ、愛子と共に富次郎宅において、金庫内の株券及び預貯金通帳等を初めて見たが、株券等があまりに多かったため、確認しないまま金庫を閉じた。被告人は、平成五年二月ころ、富次郎の所得税の確定申告のため、被告人の夫が経営する会社の税務事務を担当している税理士布目勉に頼んで右株券等を整理しようとして、これら株券及び預貯金通帳等の名義が富次郎の他、白井敬子、白井愛子、白井今子、白井長吉、白井康修(長吉の長男信平の通称)、一柳敬子及び遠藤愛子と両名の子供らのものであることを知ったが、多量で全く整理されていなかったため、その場で整理することをあきらめ、株券及び預貯金通帳等を再び金庫に戻した。

(三) 平成五年三月下旬、被告人は、富次郎が顧問をしていた愛知製鋼の社員で、富次郎の依頼を受けて無記名割引債券等の乗換え手続及び保管の補助をしていた担当者から連絡を受け、夫と共に東海銀行本店に行き、富次郎の貸金庫内に無記名割引債券、転換社債の預り証及び白井富次郎及び白井宏子(多喜子の通称)名義の預金通帳等が保管されていたことを知った。夫の会社でこれら保管物と右担当者が作成した明細書と照合した上、被告人は、これら保管物を自宅に持ち帰り、無記名割引債券だけでも総額七億四〇〇〇万円近くあることを知った。被告人は、富次郎から、貸金庫を利用していること、右金庫内のものは名古屋に持っていくもので愛子には見せられないものであることを聞いたことはあったが、この時までは実際に貸金庫の所在場所や内容物については全く知らなかった。

(四) 被告人は、平成五年四月ころ、富次郎宅の金庫から全ての株券を名古屋市内の自宅に持ち帰り、同年六月ころ、夫の依頼した証券会社の者に整理させたところ、富次郎名義の株券が最も多かったが、白井敬子、白井愛子、白井今子、白井多喜子、白井宏子、白井長吉及び白井康修名義の株券も多数存在し、これらが富次郎名義のものと区別されることなく未整理のまま富次郎宅の金庫内に保管されていたことが明らかとなった。

また、右金庫に保管してあった預貯金通帳等については、同年夏ころ、被告人が、愛子及び同人の子供名義のものを除き、自宅に持ち帰った。預貯金通帳等は、各株主名義人の株式配当金の振込先に指定されていたものが多々あった。

その後、無記名割引債券のうち二億数千万円分については愛知製鋼からの退職金で表に出さざるを得ないと聞いていたこともあり、約四億七〇〇〇万円分を愛子にも告げずに除外し、富次郎以外の名義の株券(約四億九五〇〇万円相当)及び預貯金分並びに富次郎名義の一部貯金(約一億三八〇〇万円)を除外し、遺産分割及び相続税の申告手続を夫や布目税理士の手を借りて進めた。

(五) 富次郎方金庫及び東海銀行本店貸金庫内に保管してあった株券、無記名割引債券、預貯金通帳等についてみると、

(1) 被告人、愛子及び両名の子供らが出捐して取得したものは全くない。

(2) 既に死亡した者について相続の手続がなされた形跡はないが、富次郎がこれらの者の法定相続人と思われる娘の被告人及び愛子に相続について何ら話をしていない。

(3) 既に死亡した者を含めた親族名義の株式について、富次郎が増資払込みあるいは無償新株割当により新株を取得する手続をしている。

(4) 長吉名義の鐘紡株、康修名義のアサヒビール株、あるいは宏子名義のトヨタ自動車株の配当金は、静岡銀行湖西支店のシライトミジロウ名義の預金口座に振込まれることになっていた。

(5) 昭和六二年には長吉名義の、翌六三年には白井敬子、愛子及び今子の各名義の新日本製鐵株がそれぞれ富次郎によって売却されている。

以上の事実が認められる。これら株券及び預貯金通帳等の保管、管理、取得及び処分状況等によれば、これらの株式及び預貯金は、名義の如何を問わず、被相続人である富次郎の所有であり、同人の遺産に含まれると推認できる。

2  弁護人は、ア白井長吉あるいは信平(康修)名義の株式及び預貯金について、富次郎は長吉らの財産を白井本家の財産として富次郎自身の白井分家の財産と明確に区別して管理していたこと、富次郎が長吉及び信平の相続人ではなく、長吉ら名義の株式等を取得した法律原因が不明であること、イ白井多喜子(宏子)名義の株式及び預貯金について、多喜子は家付き娘であり、同人名義の財産は当然その特有財産であったものであるから、現存する相続人間での遺産分割の問題が残っているだけであること、ウ今子名義の株式及び預貯金について、今子もある程度の持参金を持って嫁したのであるから、同人名義の財産は同人の特有財産であること、エ被告人及び愛子(白井性)名義の株券並びに両名及び両名の子供名義の預貯金について、富次郎が生前贈与したことから、いずれも富次郎の遺産ではないなどと主張する。

しかし、ア長吉及び信平名義の株券及び預貯金通帳等について、富次郎は、その名義を長吉あるいは信平としていただけで、富次郎自身や他の名義の株券及び預貯金通帳等と区別せず、一緒に未整理のまま自宅金庫内に保管管理していたこと、昭和一九年に信平、昭和二九年に長吉、昭和三六年にていが順次死亡したために本家の承継者はいないのであって、被告人も、富次郎の意思として白井家を絶やさないために、英を分家の富次郎の養子にしたと供述していることからすれば、弁護人の右主張アの前半は、その根拠がない。イ多喜子が昭和一〇年八月に分家戸主となり、同月末に富次郎が入夫婚姻したことからすると、分家するにあたり本家戸主の長吉から相当程度の資産を譲られた可能性はあるものの、その資産がいかなるものであって、現存する多喜子名義の株券の取得に充てられたのか否か不明であること、現存する最も古い株券取得の年月日が婚姻後一七年以上経過し、同人死亡後の昭和二七年であって、その取得した銘柄が富次郎の勤務先の豊田自動織機であることからすると、富次郎が亡妻名義で同株券を取得したと認める以外になく、弁護人の右主張イも容易く採用することができない。ウ弁護人の主張ウも同様であって、今子がある程度の持参金を所持していたからといって、愛知製鋼の株式を婚姻直前の昭和三七年に四〇〇〇株、昭和四五年に一万株、昭和五〇年に二万五〇〇〇株、今子の持参金の中から取得したと即断することはできない。エ被告人及び愛子の供述等によっても、富次郎が生前被告人に、自分が死んでも子供たちの生活は困らないようにしてある旨話していて、被告人及び愛子が富次郎の入院後に両名及び両名の子供ら名義の預貯金通帳を初めて発見し、自分達のために富次郎がしてくれていた預貯金であると思ったことを認めることができるだけであって、富次郎からの両名らに対する具体的な株式や預貯金についての生前贈与の申出とこの申出に対する両名らの承諾の意思表示はなかったと認められるのであって、弁護人の右主張エも理由がない。

もっとも、弁護人の右主張アの後半のとおり、長吉及び信平(康修)名義の株券の中には、大正九年に取得された東洋紡績株、両名の存命中に取得された鐘淵化学工業株などがあり、当初は長吉らが取得して所有していた可能性が高く、その後富次郎が取得したとすれば、その法律上の原因を特定することができない。しかしながら、前記認定のとおり、富次郎がこれら株券及び預貯金通帳等を三〇年以上にわたり保管管理するなどしてきたことに加え、弁護人の主張する「家」を存続させる発想に立つならば、長吉の死亡した昭和二九年ころには、長男信平は既に死亡し、白井家を継ぐべき者はなく、富次郎の白井分家には未成年の被告人及び愛子の娘しかおらず、長吉がその財産を含め事後を託することのできたのは、白井家のなかでは働き盛りの唯一の男である富次郎以外になかったのであるから、そのころ長吉が富次郎にその資産を譲渡したことは十分に考えられること、だからこそ富次郎が長吉らの法定相続人と思われる被告人や愛子にこれらの件について何ら話をしていないこと、そして、これら株式及び預貯金を、名義の如何に関わらず、全て富次郎が自由に入手し処分してきたことなどからすると、富次郎は、長吉及び信平名義の株式等のうち死亡前に同人ら名義になっているものを長吉から譲渡されるなどして取得し所有し、死亡後の同人ら名義、多喜子、今子及び被告人ら生存者名義の株式等を借名で取得し所有していたとみるのが相当である。結局、弁護人の右主張アの後半、イ及びウは、右推認を左右するに足りるものではない。

3  そして、被告人は、富次郎宅金庫及び東海銀行本店内貸金庫の中身を確認したときに立ち会うなど、前記(一)ないし(五)(1)及び(2)の認定事実を概ね認識していたのであるから、右財産についても相続財産であるとの認識があり、逋脱の故意があったことを優に認定することができる。右認定に反する被告人及び布目勉の各供述は、関係証拠に照らして到底信用し難い。

三  逋脱額の算出方法について(前記<3>の主張について)

弁護人は、逋脱額について、最終的に納付税額が確定した時点(本件では税務調査後の修正申告及び更正決定があった時点)を基準に計算すべきであり、その前提として、白井今子の相続税額の計算において、相続税法一九条の二第一項(配偶者に対する税額軽減)が適用されるべきであると主張する。

しかし、そもそも納期限前に虚偽過少申告した場合の逋脱犯は、法定納期限経過時に既遂に達するのであって、その後の修正申告及び更正決定によって何らの影響も受けるものではないことは相続税法等の法令の規定上明白である。また、逋脱額を計算する場合、虚偽過少申告(当初申告)して法定納期限を徒過させた際、相続人間に一部遺産についての分割協議が成立し、配偶者に分割されて当初申告された部分については、相続税法一九条の二第一項が適用されるのは当然であるが、秘匿した遺産で未分割であった部分については、同条項は適用されない。逋脱犯は、当初申告において虚偽過少申告した行為について処罰するのであって、納期限後の修正申告等で配偶者に対する税額の軽減を受けた結果を処罰するものではないからである。本件で秘匿財産の遺産分割が成立し、相続財産全体について遺産分割を終えたのは、平成八年四月三日であり、本件犯行時(既遂時)には秘匿財産については未分割の状態にあったから、秘匿財産部分については同条項の適用がないのは当然である。本件逋脱額の計算において、今子が同条項の適用を受けるのは、今子が遺産分割により取得した相続財産のうち、当初申告時の部分だけである。

この点に関して、弁護人は、現行相続税法一九条の二第五項の新設を理由として、自己の主張を根拠づけようとしている。しかし、同条項は、従来は逋脱犯等においても課税面では同法一九条の二第一項の配偶者に対する税額の軽減を受けられたが、この軽減措置を逋脱犯等に認めることは、適正な申告を確保し課税の公平を図る上で、不適切で不公平であるとして、課税という行政処分でも同条項の適用を受けられないとして新設されたものであって、同法一九条の二第五項の存否は、刑事処分である逋脱犯の成否及び逋脱額に影響を及ぼすものではない。

弁護人の主張は、理由がない。

(法令の適用)

被告人の判示所為のうち、不正の方法により自己の相続税を免れた点は相続税法六八条一項に、同じく共同相続人三名の代理人として同人らの相続税を免れた点はそれぞれ同法七一条一項、六八条一項に該当するが、右は一個の行為で四個の罪名に触れる場合であるから、平成七年法律第九一号による改正前の刑法(以下「改正前刑法」という。)五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重い白井今子の相続税を免れた罪の刑で処断することとし、所定刑中懲役刑及び罰金刑を併科し、情状により相続税法六八条二項を適用することとし、その所定の刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役二年六月及び罰金一億八〇〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、改正前刑法一八条により、金三〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、情状により改正前刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右懲役刑の執行を猶予することとする。

(量刑の理由)

本件は、被相続人白井富次郎の長女である被告人が、自分自身のためと、三女の遠藤愛子、被相続人の後妻の白井今子及び被告人の長女で被相続人と妻今子の養子となっている白井英の共同相続人三名を代理して、相続税の納付手続等を行うにあたり、白井家を維持するためにできるだけ財産を残したいと考え、相続財産の一部を隠匿して過少申告し、脱税を図ったという事案である。本件脱税額は合計約六億七〇〇〇万円と多額であり、強い社会的非難に値し、一般予防的見地を無視することはできない。犯行態様も計算尽くであり、他の共同相続人にもほとんどを無断で隠匿した犯情も芳しいものではない。

他方、一四歳の時に実母を亡くし、父親である被相続人が職務に打ち込む様子を見ながら成長した被告人が、娘二人が継ぐことのなかった白井家の継承と繁栄を婿養子として願っていた被相続人の遺志を酌み、本件犯行に及んだという心情は理解できなくはない。被告人が夫や同人の知人の税務及び法律専門家等から、不適切と思われなくもない助言を受けたことが本件の遠因になっていることも否定できない。被告人は、平成六年一〇月に浜松西税務署の調査が入った後ではあるが、同年一一月国税局の査察が入る前に自発的に隠匿していた無記名割引債券を申告し、平成七年三月には国税局の計算に従って相続税を予納し、同年六月には修正申告書を提出した。また、被告人は、本件をそれなりに反省し、相続財産を隠匿した直後から罪悪感に苛まれ、本件を犯したことで精神的にも肉体的にも相当の影響を受け、近時腸閉塞を患うなど病弱な状況にある。

そこで、以上の事情を総合考慮して、主文のとおり量刑した。

よって、主文のとおり判決する。

(求刑 懲役二年六月 罰金二億円)

(裁判長裁判官 小川正明 裁判官 任介辰哉 裁判官 渡辺真理)

別表

ほ脱状況一覧表

<省略>

別紙

人的関係図

<省略>

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